思い出したら長くなった

 

かずしさんとご飯に行った。2時間くらいのサクサクっとした会だったけどまあまあいろいろ話をして、保育士さんの話を聞いてまあまあ頭使ったのか使わないのか、なんていうんだろ。脳みそ頑張った。

 

 

トンボの話になって、彼の話を聞いて、葛藤を聞いて、納得したところと子供の感情のほうが理解出来たところと何個かあって、昔大地さんに言われた「子供だから子供が嫌いなんだよ」があながち間違っていなあと再認識した。

未だに作品を見せて大人に言われるのは「これはなにを作ったんですか?」という一言。別に何を作ったわけでもないから、あなたがそう思ったものにしてくださいって思うけどそう言葉にすると威圧的になるか、価値がなくなるから言わない。だから「くまです」と言うと「爪が三本しかないよ?耳はどこ?なんで片腕だけなの?」とたくさん質問されるから楽しくない。そんな人のところには私の作品は行かなくていいと思っている。

 

 

 

 

小学生になる前までの時間は、とても大事だと思う。毎年母校の専門学校の卒業制作展のタイミングで自動絵画の展示も併設されるから足を運ぶ。教育方針がひと目でわかるのが面白いから。

「節分」をテーマにしていても、10人同じ画用紙で絵の具を使ってるところもあるし、先生が切り絵のパーツまで作ってるところもある。半立体にしてたり、クレヨンで描いた上から絵の具とか。一番好きなのは、それぞれ画用紙の大きさも向きも決まってなくてのびのびしてる保育園を見つけると将来が楽しそうだなあと思う。きっとこの子の鬼はどんどん大きくなって収まらなくて画用紙を先生が継ぎ足し継ぎ足ししたんだろうな。とか。いい先生だと思う。

 

(追記:私の好きな先生は画用紙に収めるために鬼の肩まで描いてやめたとき、てもかいてあげたら?と鬼の気持ちを伝えてくれる先生だと思う。)

 

 

 

盛岡の小学校に引っ越してきてから、世界で一番好きな時間だった「図工」が嫌いになった。使う材料も指定されて家から持ってきてと言われて、今まで材料を家から持ってくことをしたことがなかった私は親に言い出せなくて戸惑った。で、よく材料を持っていかなくて怒られた。なんでみんな家に材料があるのかがわからなくて、高学年になって「買いに行っている」ということを知った。笑

みんなに合わせて作るのが苦しくてたまらなかった。から、毎回作品は家に持って帰る前に捨てていた記憶がある。それがバレた時、酷く母が落ち込んでいたのもよく覚えている。母はつい先日まで私が小さい頃書いた絵を全部大事にとっていてくれた。ごちゃごちゃの筆跡の横にクセのある丸字でコメントが書いてあるのは見返した時に何を描いた絵なのかわかるようにするため。絵をかくのが好きだった私を認めてくれていたんだと思う。

 

 

 

 

釜石の小学校の図工は楽しかった記憶がある。何作ったかはよく覚えていないけれど、2年生の時にみんなでそれぞれビルを画用紙で作って、多目的ホールに大きな街を作ったのはよく覚えているし写真も大切にとってあるはず。誰の隣にくっつけるか、ビル同士を橋でつなげるかとかみんなで話し合った。「どんな街にするか」はそれぞれが作る。虹をかける係、飛行機を飛ばす係、ゴジラウルトラマン。「ビルを作る」作業が図工の単位に当たる部分であとは自主性。黙々とみんなのビルを連結する係、紙飛行機をみんなに1機ずつプレゼント、鬼ごっこをする。どんどん大きくなる街を見て先生が放った抑制の言葉は「おお〜気仙沼みってーだな。写真さはいんねぐなるぞ。あっちの方ちっせぐなっぞ。」みたいな感じだった気がする。多分千葉先生ならそういうと思う。そんで「気仙沼」て聞いてみんなでジャスコを作った。都会だ。千葉先生は次の授業も潰して図工にしてくれた。完成した街を、校長先生呼んできて私たちに大きな手で拍手をして、そこから発表会をして、最後にその街を中心にみんなで円になって寝そべって、写真を撮った。千葉先生はよく写真とビデオを撮る先生だったなあ。学期末、誕生日、生活の授業、バレンタイン。1番学校が楽しかったと思う。喧嘩も沢山しなさいって言う人だった。当時私はまあまあ喧嘩ぱやくてよく足が出るタイプだった。たっくんのことが好きで、たっくんはありさちゃんが好きそうで、帰り道が一緒だったから、さやかちゃんと、しゅうとと、まさやくんと一緒に登下校して。しゅうととは入学式の初見時からほぼ毎日喧嘩をしていた。でも、まさやくんは私を庇ってくれるから結局それでまた喧嘩した。結構思い出せるもんだなあ。

 

 

 

 

私の両親は私がどんな絵をかいても、ものを作っても「いい色だね。」「耳めっちゃ右だね」みたいに素材感や色、バランスについて感想をいうことはあっても、そのものについて質問したり感想を述べることは無い。先日会った叔母は「これは…くま?なんか独特で、アンの世界観ね」といった。従兄弟は勉強ができて空手をずっと続けた、私と正反対なタイプ。

祖母は大概、やれクマの色じゃない、型紙がどうした口を出すけれどそれは洋裁が好きだからつい言ってしまうらしく、私がいないところで真似て作ってみようとしているようだ。母に「あれは才能だな、同じようにはできない」と電話でこぼすらしい。きっと死んだ祖父も口は出さない。祖父はむしろ私にいい生地や画材を買い与えて酒を飲んで3日ほど篭城しようと言い出すだろう。私が作ることを嫌いになってもやめないのはこの環境が私を育てたからだ。唯一の自己肯定。と、かずしさんには伝えたけれど、自己肯定の中に家族を肯定したい意志もある。

 

 

ここまで思い出して、私今なら200%まさやくんのこと好きになるわ〜てニヤニヤしてるところ。