ころころこころ

 

ーーー夕方、5時

 

この歌い出しを久しぶりにイヤホンから聞いて退社。田中とよく聴いていたなあ、私の病んでる時のプレイリストwith二十歳の若かりし私。待ち合わせ予定まで1時間あるから鏡に向かって化粧直して、仕事中はしないから控えめに久しぶりの香水をつける。意外とまだちゃんと女子できるなぁって、ニヤニヤした。

 

ちょっと遠回りしながら夜ご飯のカレー屋さんに向かう。車内は共通の小さな小さな地元の話だ。芋づる式とはまさに、な会話。レバニラの話をしたかったのに、唯一あるラーメン屋の名前を出した途端にいつも頼むメニュー、店の汚さ、味のムラ…もう話は止まらない爆発寸前。小学校出会ったこともないのに、気持ちは小学生まで戻っていて、好きだった子の話と寄り道のルート、秘密基地の場所、ふと思い出した学校歌の歌い出しを答え合わせして、出会えてよかった!とケラケラ笑いながら目的地に到着。

 

「笑いこらえる準備して」と言われて扉を開けるとそれはもう早口で片言な日本語とナマステ〜の挨拶。普段の私ならすぐ真似してモノにして帰り道まで引きずるのを、グッと我慢して…たけどまあまあ無理だった。あれは面白すぎた。

 

ショッピングモールの駐車場で話足りない分を消化する。まあ、よく笑ってよく話した。私の中で一番の故郷の話を出来たのがよっぽど嬉しかったらしい。気付いたら助手席の窓が真っ白に曇って笑った。ドライブの始まりだ。

 

 

 

 

両親と、向こうの祖父母は仲が悪い。幼心にそれは感じていて、近所に住んでいてもあまり良くしてもらった記憶はない。きっと祖父母は可愛がりたかったのだろうけれど、甘えたらいけないと教えられていた記憶がある。祖父母は孫は好きだけど、父母が嫌いだったから隠れて可愛がってくれた。親を嫌うことはあっても、親に心底嫌われたことがないから父の気持ちがわからない。でも父は可哀想な環境で育ったと思う、でも、実親の代わりに愛情を注いでくれた親戚が沢山いて幸せだなとも。親戚はみんな祖父母以上に私を可愛がってくれたし今も沢山お世話になってる。

 

従兄弟はおもちゃもゲームもお菓子も何でも買ってもらって、私は我慢するのが当たり前で。でもそう、一度だけ母と喧嘩をして泣きながら30分くらい歩いて祖母に会いに行った。食パンの耳を揚げて砂糖いっぱいかけてオヤツをこさえてくれた。庭にはキウイがなっていてその下に大きなシベリアンハスキーを飼っていた。リュウは私よりも大きくてバカで食いしん坊。七五三の時に私の大事なアンパンを奪ったバカヤロウだ。老衰のタイミングで虫に刺されて死んでしまったけれど、たまにリュウの匂いだ!と思う時がしばしばある。だいたい肥やしの匂いかホームセンターの園芸コーナーだ。臭かったんだね。

 

 

母は嫁いできたから地元愛の方が強い。父は生まれ育った街だから、一通りの思い出が完結していて外に抵抗がない。弟は幼稚園までだからどうなんだろう。なんだろう、それぞれあの街にかける思いが違う。私はあそこで好きな人もいたし友達もいたし、将来のことも考えた。釜石、盛岡、いた時期は半々で友達は盛岡にしかいない。でも面白い記憶は釜石の方が多い。

津波が起きた時、釜石に行きたいという私に母親は理解ができないという顔をした。木登りも探検も、屋根に登ったりエアガン撃ったり、秘密基地作ったり盛岡ではしなかったよなあ。それが記憶の差なんだと思う。あの用水路沿いを小さい足で40分歩いて寄り道して喧嘩して学校に遅刻したのは、あれは多分私が人生で一番グレていた時期だったかもしれない。ずっと我慢してた話だ。なんだったら忘れ去るのがベストで、きっと次あの街に帰るのは祖父母のお葬式だと思っていた。少し時間が違っても同じ景色を共有出来るのは心がコロコロと鳴った。

 

 

お互い、8年、5年と向こうでいう都会に出てきて普通に生活していたはず。転校してイジメの原因になったから一生懸命直した訛りが、ちょっとずつ運転席から聞こえてきて、さんざんいろんなこと引きずってうじうじしていたけれど誰かを好きになる理由なんてこんなのでいいのかもしれないと思った。

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